書くことは再び愛すること

瞑想家・画家・歌人・元読書家(自称)

【記憶だけで書く書評】J.クリシュナムルティ『自我の終焉』

  本好きは、自分のオールタイムベストを持っているものだが、数年前まで、クリシュナムルティ(彼は「K」と呼ばれていた)の『自我の終焉』が常にNo.1だった。読んだあと約三年間くらいは圧倒的に影響された状態が続き、合計で約五年間くらいはKの影響下にあった。厳密に言えば、影響を受けたという言い方は正しくない。本当のことが書かれているから受け入れざるをえなくなるのだ。自分がもともと知っていたことを再発見したという喜びと、見てはいけないものを見てしまったという不安が一緒になってやってくる感覚。本当のことというのは、人間にとって刺激が強すぎる。あまりにも強すぎる本だったので、その影響から逃れたくて捨ててしまった。終焉へと詰め寄られる自我が、抵抗していたのだろう。新訳が『最初で最後の自由』というタイトルで出ているが、『自我の終焉』のほうが意訳が施されていて読みやすい。

 うっかり読んでしまうと、その書き手の思考回路でしかものを考えられなくなるという恐ろしい本がある。ぼくにとって『自我の終焉』は、その種の体験をした唯一の本であり、体内で爆発しつづけても爆発し終わらない爆弾のような本だった。悟りを開きたいという、今思えば馬鹿げた願望を真剣な気持ちで追い求めていたぼくは、Kと出会う前から、インドやヒマラヤで生活する聖者の対話集や、仏教、禅、老子、現代的なノンデュアリティ(非二元)などを読みあさっていたが、Kを読んでからは、「悟り本」が読めなくなった。ただ、その後五年くらいはまだまだ紆余曲折があって、いろいろ読みあさったのだったが、心のどこかにつねにKがいて、ぼくの自己探求を終わらせてくれる力になった。探求の熱というのは、文字通り熱であり、冷めないうちは追い求めるしかない。そして、熱が冷めるというのが、全てなのだ。ただし、一度熱出さない限り、熱が冷めるという現象は起こらないのだが。